書評:『ワードマップ現代現象学』(新曜社、2017年)
「現象学は、私たちの経験の探求です」と導入される本書は、フッサールからハイデガーを経てメルロ-ポンティやレヴィナスに至る、という旧来の「現象学入門」のスタイルからは大きく逸脱している。目次を眺めればわかるとおり、志向性、存在、価値、芸術等々のトピックベースで、現象学的なアプローチによる現代的な議論が展開される。まさに「現代現象学」の名にふさわしい入門書である。ちなみに、後書きにもあるとおり、私も一部の章については草稿段階で読ませていただいたことがあるが、全体に目を通したのは書籍になってからである。
さて、このような本書の性格上、個別のトピックについての考察は、必ずしも現象学に興味がなかったとしても、そのトピックに興味がある者なら一読して損はないものとなっている。現象学的なアプローチが中核に据えられ、擁護されているが、それ以外の立場についても目配りの効いた検討がなされており、各自の問題意識に引きつけながら読むことができるだろう。「大陸哲学と分析哲学の架橋」などと大上段に構えるのではなく、トピックベースで両方の議論を検討してゆくことで結果的に両者の壁が取り払われているのも読んでいて小気味よい。
その一方で、現象学者ではない、ヘーゲル研究から出発した私にとって最後まで乗れなかった点もある。それは、そもそもこれらのトピックすべてを、一貫して現象学的なアプローチで説明するという、著者たちのモチベーションである。各々のトピックについて、それについては現象学的なアプローチが役立つ、と論じることには意味があるだろう。しかしそれを述べることは、すべてのトピックについて、一貫して現象学的なアプローチを取るべきであるということを正当化しないように思われる。トピックによっては「経験」や「現象」が重要なものと、そうでないものがある、ということではなぜいけないのか。(例えばヘーゲルなら、経験や現象から始めるのか、それを超越した形而上学から始めるのかという問いの立て方そのものが不適切であると言うだろう。)それとも、トピックを貫いて現象学的なアプローチをとる「べき」だという主張はなされておらず、さしあたり現象学的なアプローチで考えるとどうなるかをカタログ的に提示した、ということなのだろうか。現象学の外にいる者として、こうした疑念は残る。
とはいえ、本書は入門書である。そのような問いは、読者である私たちが、他の書物にも手を伸ばしながら、自ら考え、探求していくべきものであろう。むしろ、現象学的アプローチにこだわった本書のおかげで、そのような問いにたどり着くことができた、と言うべきである。