川瀬和也 研究ブログ

宮崎公立大学で教員をしています。専門は、(1)ヘーゲル、(2)行為の哲学(3)プラグマティズム。英語圏のいわゆる分析系のヘーゲル研究の成果を取り入れながら、ヘーゲルの議論の再構成を目指しています。主要著作:論文「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」で日本哲学会若手研究者奨励賞受賞。共著に『ヘーゲルと現代思想』(晃洋書房・2017年)ほか。お仕事のご依頼・ご質問はフォームへ→https://goo.gl/forms/klZ92omOgEvsjcCi1

大学からの学び・大人の学びと読書

 高校までは「勉強」と言えば、授業を受けたり、動画を見たり、問題を解いて反復練習をすることでしょう。しかし大学の学びや大人の学びでは、本を読むことが「勉強」において最も重要な活動になります。なぜでしょうか。この記事では、これについて考えてみます。なお、この記事は大学1年生向けの授業の副産物であり、主にこの春から大学生になる皆さんに向けたものです。しかし、大人の学びについて考えていただく材料にもなると思います。

 高校までの学びは、全員が同じ「大学入試」という目標に向かうために、学校や塾がお膳立てしてくれたものでした。(もちろん大学入試を目指さない実業系の高校もありますが、これは大学生向けの文章ですので、大学入試のためのカリキュラムを持った高校や塾を想定しています。)目標とそのためのタスクがすべてパッケージで提供されて、いわば説明書通りに組み立てていくのが高校までの学びでした。

 しかし「大学の学び」そして「オトナの学び」は、それぞれが学びたいことを見つけて、自分なりに目標を建て、自分専用にカスタマイズして学ぶものです。全員共通の目標はありません。これまでの学びは、既に書かれた絵に、指定された色を塗っていくようなものでした。これからの学び、そしてこれからの人生では、真っ白なキャンパスに自分でゼロから絵を描いていくことが「学び」になります。これに適応できるよう、頭の使い方を変えていく必要があります。

 大学からの学びで重要になるのが読書です。高校までは指定された教科書や塾のテキストを中心に、問題演習を繰り返すことが「勉強」でした。これからは、自分なりに読むに値する本を選別して、その内容をインプットしていくことが「勉強」の中心になります。

 「勉強」から「研究」になる、という言い方がされることもありますが、私はそれよりも、「高校の勉強」と「専門家の研究」の中間に、「大学生の学び」「オトナの学び」があると考えた方が良いと思います。オトナの学びはインプット中心である点では「研究」より「勉強」に近くなります。しかし、何をインプットすればいいのかということを自分で決めていく点が、高校までの学びとは全く違います。

 この学びには、問題集がありません。動画教材もありません。なぜなら、その学びはあなただけのための学びだからです。問題集や動画を作るのには、膨大なコストがかかります。あなただけにカスタマイズされた問題集を作っても、採算が取れません。動画を作っても、再生数が稼げません。だからあなただけの目標を追いかけるためには、本を読むこと、読書から学ぶことがどうしても必要になります。

 一方で、「読書」についてもこれまでとは違う捉え方が必要になります。多くの方にとって、高校までの読書は、「娯楽のための読書」だったと思います。この点では、マンガだろうが小説だろうが同じです。

 「娯楽のための読書」をやめる必要はありませんが、これからはそれに加えて、自分なりの「学びのための読書」もしていかなければなりません。「この本は読むに値する本なのか?」と考えながら、本を選んで読み、特に重要だと判断した本についてはノートをまとめたりして深く理解しながら読んでいきます。これは「大学での学び」の中心が、自分なりに読むに値する本を選別して、その内容をインプットしていくことになることと連動しています。

 まとめると、大学では、勉強は読書になり、読書は勉強になります。(もちろん、語学などの一部の科目や、資格試験のための科目は除きます。)これにいち早く気づくことが、大学生活で最高のスタートを切るコツです。初めは戸惑うかもしれませんが、ペースさえつかめれば、これまでよりずっと広く深い、創造的な大人の学びの世界に踏み出していくことができます。