川瀬和也 研究ブログ

宮崎公立大学で助教をしています。専門は、(1)ヘーゲル、(2)行為の哲学(3)プラグマティズム。英語圏のいわゆる分析系のヘーゲル研究の成果を取り入れながら、ヘーゲルの議論の再構成を目指しています。主要著作:論文「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」で日本哲学会若手研究者奨励賞受賞。共著に『ヘーゲルと現代思想』(晃洋書房・2017年)ほか。お仕事のご依頼・ご質問はフォームへ→https://goo.gl/forms/klZ92omOgEvsjcCi1

ヘーゲル(再)入門ツアーへのあとがき

 ヘーゲル(再)入門ツアー、予想を上回る多くの方々にご参加いただき、誠にありがとうございました。いただいたご質問やその後インターネット等に書いていただいたご感想等、ありがたく拝読しております。この記事では、さらに学びたい人のための文献紹介と、授業デザインに関する「種明かし」をしたいと思います。


1.日本語文献ガイド

 まずは、下記の諸論文は、お話しした内容とも重なっており参考になると思います。

  1. 川瀬和也「ヘーゲル英語圏の現代哲学」、『理想』第700号、理想社、2018年、121-133頁 

     

  2. 飯泉佑介「復活するヘーゲル形而上学 (ヘーゲル復権)」、『思想』、2019年1月号、岩波書店、43-52頁
    思想 2019年 01 月号 [雑誌]

    思想 2019年 01 月号 [雑誌]

     

     

  3. 川瀬和也「ヘーゲルルネサンス——現代英語圏におけるヘーゲル解釈の展開」、『情況』、2016年6・7月号、情況出版、178-196頁
    情況 2016年6・7月―変革のための総合誌 ヘーゲル大論理学

    情況 2016年6・7月―変革のための総合誌 ヘーゲル大論理学

     

     

  4. 川瀬和也「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」、『哲学』、第68号、日本哲学会編、2017年、109-123頁(以下のリンクから読めます)

    www.jstage.jst.go.jp

  5. ジョン・マクダウェル「統覚的自我と経験的自己——ヘーゲル精神現象学』「主人と奴隷」の異端的解釈に向けて」、『思想』、2019年1月号、岩波書店、21-42頁(2と同じ冊子に収録されています)

 下に行くほど難しくなります。3番目はピピンのカント解釈について詳しく書いています。4番目は、認識論先行型解釈と存在論先行型解釈の対立や調停に関わる、『大論理学』のテクストに即した論文です。最後のマクダウェルの論文からは、認識論先行型解釈の雰囲気を知ることができます。


2.英語文献ガイド

 大学院生や研究者などで、洋書でも大丈夫なので最新の研究に触れたいという方は、下記をおすすめします。これも下に行くほど難しくなります。簡単な解説もつけておきます。

1.P. Redding, Georg Wilhelm Friedrich Hegel(Stanford Encyclopedia of Philosophy), 

 哲学者なら誰でも知っている「スタンフォード哲学百科事典」のヘーゲルの記事。英語圏を中心に、近年のヘーゲル研究を三つの段階にわけて整理しており、かなり視界がクリアになる。著者のレディングにはAnalytic Philosophy and the Return of Hegelian Thought(Cambridge University Press, 2007)という著書もあり、こちらもおすすめ。

plato.stanford.edu

2.R. B. Pippin, Hegel on Self-Consciousness: Desire and Death in the Phenomenology of Spirit, Princeton University Press, 2011

 現代英語圏ヘーゲル研究の立役者ピピンの短めの著作。『精神現象学』の「自己意識」章を取り上げて、マクダウェルとブランダムの解釈を批判しながら自説を展開するという楽しい展開になっている。ピピンの著作の中で最も読みやすい。(ただし、ピピンの英語は複文が多くて難しめなので、英語が苦手だと少しつらい。)欲望論が大きな論点なので、初めの方にはコジェーヴへの言及もあり、フランス系から入った方にも(おそらく)多少親しみやすい。いつか訳したい。

 

Hegel on Self-Consciousness: Desire and Death in the Phenomenology of Spirit (Princeton Monographs in Philosophy)

Hegel on Self-Consciousness: Desire and Death in the Phenomenology of Spirit (Princeton Monographs in Philosophy)

 

 

3. R. Stern, Hegel’s Idealism, in: The Cambridge Companion to Hegel and Nineteenth-Century Philosophy, F. C. Beiser(ed.), 2008, pp. 135-173.

 スターンによるピピン批判を含む論文。スターンは、存在論先行型解釈の最も重要な論客。ヘーゲルの名前を冠したケンブリッジ・コンパニオンは2冊あるが、そのうちの新しい方に収録されている。スターンの論文集Hegelian Metaphysicsにも再録されている。Louxの形而上学入門に触れて、ピピンヘーゲル反実在論的だとしたうえでヘーゲル実在論者として位置づけるなど、現代分析形而上学とのつながりをつけてくれる論考でもある。

 

The Cambridge Companion to Hegel and Nineteenth-Century Philosophy (Cambridge Companions to Philosophy)

The Cambridge Companion to Hegel and Nineteenth-Century Philosophy (Cambridge Companions to Philosophy)

 
 4. Sally Sedgwick, Hegel’s Critique of Kant: From Dichotomy to Identity, Oxford University Press, 2012

 このあたりから研究書になってくる。レディングが「ポスト・カント的」と呼ぶ認識論先行型解釈の中で、カントとの関係を最も丁寧に論じた本。第2章があまりおもしろくないので、『判断力批判』に興味がなければ飛ばして読もう。これも訳されてもよい本だと思う。

 

Hegel's Critique of Kant: From Dichotomy to Identity

Hegel's Critique of Kant: From Dichotomy to Identity

 
 5. James Kreines, Reason in the World: Hegel’s Metaphysics and Its Philosophical Appeal, Oxford University Press, 2015

 存在論先行型の解釈の中でも、よくまとまった論考。現代のオーソドックスな形而上学とは少し違う、「理由の形而上学」という立場を打ち出している。ヘーゲルを認識論として読まない理由についての議論が丁寧で、参考になる。

 

Reason in the World: Hegel's Metaphysics and Its Philosophical Appeal (English Edition)
 

 

 以上、五つ挙げてみました。研究レベルで英語圏ヘーゲル解釈論争を理解したい方には、いずれも必読文献になるでしょう。ちなみに、ガブリエルのヘーゲル解釈やシェリング用語はこのあたりの流れを念頭に置いているので、きちんと咀嚼せずに飛びつくのは危険だと思います。あえて厳しい言い方をすれば、日本はいまこの分野では周回遅れの状況にあります。(その代わり、文献学や思想史の分野では諸外国に引けを取りません。)

3.授業デザインに関すること

 非常勤講師等をされている受講者の方も多く、授業デザインに関する点にも関心をもって頂けたのは嬉しい誤算でした。今回のセミナーは、授業デザインの基本に則って実施しています。

総論

 今回に限らず、私の授業は、目標設定が最も重要だという思想のもとにデザインしています。(これは栗田佳代子先生の受け売りです。)目標設定は、論文で言えばアウトライン以前、問いと結論の設定に相当します。ここがしっかりしていれば、全体のデザインもすんなりできますし、逆にデザインで詰まったら、ここに戻って手直しをするべきです。授業の中でも、目標は参加者にお示しし(受講者を主語に!)、最後にもう一度目標が達成できたか振り返る構成にしました。

 また、今回はいわゆるアクティブ・ラーニング形式ということで、ワークを多用する構成にしていました。全体として、ワークを多用するともちろん話せる内容は少なくなってしまいます。しかし、授業・セミナーで重要なのは、「講師が何を話したか」ではなく、「参加者が何を学んで帰ったか」です。私は、100のことを話して10しか持ち帰れないより、50だけをワーク等も交えて丁寧に話して40を持ち帰って頂ける方がよい、というポリシーでデザインしています。その過程で、何を伝えるか、目標を吟味して本当に伝えたいことを考えることになります。

デザインについて

・ADDIEモデル
 まず、そもそもの授業デザインの流れとして、ADDIEモデルというものがあります。Analysis、Design、Development、Implementation、Evaluationの頭文字をつなげたもので、今回は特に新しいことをやるため、この流れに即して開発しました。ここでは準備段階の3ステップについて書きます。

・分析
 今回は「ヘーゲル(再)入門」ということで、初めてヘーゲルに触れる方、他分野を研究していてちょくちょく顔を出すヘーゲルが気になっている方、過去にヘーゲルに挫折した方など、様々な参加者が予想されました。また、実際に読んでみるパートが予告されていたこと、関西では『精神現象学』と『大論理学』の各著作がフォーカスされていたことも特徴でした。もちろん、私自身の専門知識を期待して頂いているわけなので、英語圏の研究の流れが見えることも必要と考えました。

・デザイン
 最低限の知識レベルの地ならしを行うこと、講義では、なるべく初学者の方にも分かるようにすること、講読では少し背伸びした内容も盛り込むこと、などを考え、目標も硬軟取り混ぜることにしました。また、参加者のレベルの違いを逆手にとって、少し難しめの課題を「教え合う」ようなワークを作ることにしました。例えば大学の一般教養の授業なら、目次を見て話し合うワークなどは少し難しかったかもしれません。

 後半に講読という大きなワークがあったので、前半ではワークはすこし少なめに、それでも話を聞き続けるだけの時間が30分以上にはならないくらいに、と考えて計画しました。

・教材開発
今回の教材には、スライドのほか、書き込み式のワークシートを用いました。通常のレジュメや原稿のような資料とはかなり異なる形になっていたと思います。

 

手法について

・アイスブレイク
 哲学の授業ということで、あまり周りと話したりすることを想定せずに来られている方も多いのではないかと予測していました。また、背景の異なる方が多く参加されていることも予想されました。このため、最初に自己紹介していただく時間を作り、その後の話し合いに参加する心構えをつくっていただきました。

 大学の授業でも応用可能ですが、参加者が同じ大学・学年の学生や友達同士など均質な場合「自己紹介」だと話すことがなくなるので、テーマを多少工夫する必要が出てくるでしょう。基礎ゼミなど、雰囲気作りが特に重要な場合は、アイスブレイク用のゲーム集なども利用できます。

・診断的評価
 今回、参加者のレディネス、つまり知識レベルや哲学への習熟度にばらつきがあると予想していました。このため、はじめに診断的評価を入れることにしました。授業内での診断的評価のtipsとして、あまりテストっぽくしないということと、問題の難易度にばらつきを作ることが重要とされます。ここでも「クイズ」と銘打ち、また、難易度もヘーゲルについてのマニアックな内容(出身地など)から、多くの方が知っていそうな内容(『資本論』の著者など)まで取り混ぜて作りました。

 この結果次第でレベルを下げて一部省略することなどもありえましたが、幸いいずれの会場でも比較的レディネスのある参加者が多かったため、そのまま実施することにしました。大学の授業であれば、初回に実施して2回目以後の授業計画を変更することなども考えられます。

 また、ヘーゲルの生涯やドイツ観念論の教科書的な流れなど、単に私が喋る形で教えると知っている人にはただただ眠くなるだけの講義になってしまうと危惧されたので、クイズにしてお互いに教え合いながら考えてもらうことにしました。

・Think-Pair-Share
 とにかく応用の幅がひろく、絶対に覚えておくべき手法がこれです。参加者の知識の不均衡が逆に議論の活性化につながると考えたこともあり、今回も多用することにしました。「話し合う前に少し考えてもらう」を徹底して意識して指示を出すだけでも、話し合いの質は大きく違ってきます。さらにメモを取るよう促すことで、より話しやすくなります。

 今回は大人の参加者なので、皆さんスムーズにコミュニケーションできていましたが、慣れていない学生の場合はどちらが話し始めるか様子見になってしまう場合もあります。そのような場合は、右の人が先に喋るように、とか番号が若い人から話すように、などと決めてあげるとスムーズにいきます。「こいつやる気満々じゃん!」と思われるのが恥ずかしいという心理障壁を取り除いて、「先生が言うから」という状況を作ることが重要です。

 次のリンク先も参考になるでしょう。東大FFP同期の吉田塁さんの文章です。

dalt.c.u-tokyo.ac.jp


以上です。工夫した点などいろいろ書きましたが、それでも至らない点も多々あったと思います。反省すべきところは反省し、今後改善していきたいと思っています。

金杉武司『心の哲学入門』第3章における「表象内容の目的論的説明」への疑問

 金杉武司『心の哲学入門』(勁草書房、2007年)は、心の哲学を学びたい人のみならず、哲学を学びたい人に真っ先にすすめたい本の一つです。発行から10年を経て少し古くなってきたところもありますが、まだまだ現役で通用する本でしょう。

 

心の哲学入門

心の哲学入門

 

 

 しかし、私は、第3章の「志向性」に関する記述には問題があると感じています。これに気づいたのは、この本をもとに授業を作ろうとして精読したときのことでした。金杉さんに直接お尋ねしても良かったのですが、公開の形で批判しておくことには公共的な価値があると考え、また、読み物としてもそれなりに楽しんで頂けるのではないかと思うので、ここにブログとして公開することにします。なお、以下で批判的なことを書く関係で念のため繰り返しますが、納得できない箇所があるにせよ、この本が入門書として非常に優れているという全体としての評価は変わりません。(というか、哲学書には納得できない箇所がある方が普通です。)

 

金杉による目的論的説明の定式化

 さて、「志向性」の章には、信念や欲求の表象内容の目的論的説明として、R. ミリカンの目的論手利きの主義風の以下のような定式化が登場します。

  • ある信念がPという表象内容をもつ↔その信念は、実際にPという状況が成立している場合には、Qという表象内容を持つ欲求とともに、その欲求を満たすQという行為を引き起こす
  • ある欲求がQという表象内容をもつ↔その欲求は信念とともに、進化論的目的にかなったQという行為を引き起こす

 例えば、

P:目の前に水がある
Q:水を飲む

とすると、目の前に水があるときに、水を飲みたいという欲求とともに水を飲むという行為を引き越すのが、「目の前に水がある」という信念であり、この信念とともに「水を飲む」という行為を引き起こすのが、「水を飲みたい」という欲求だということになります。

 

この定式化の問題点

 これは、理解を助けるための単純化であることを考慮しても、非常に問題のある定式化に思えます。例えば次のような反例が作れるからです。

 

信念の表象内容の定式化に関する反例

あなたは取引先との重要な会議の最中である。あなたは喉が渇いており、水が飲みたいという欲求を持っている。目の前には、取引先の担当者の飲みかけの水がある。あなたはこの水を飲まないことにした。

 

 先ほどの双条件文による定式化を認めるなら、この状況でもしあなたが「目の前に水がある」という信念を持っているのなら、あなたはその水を飲むことになってしまいます。これに反して水を飲まないのだとすると、今度は双条件文の右辺が成り立たないので、あなたは「目の前に水がある」という信念を持たないことになってしまいます。これでは目的論的説明をする立場は、あまりにも見込みがない、検討する価値すらない立場になってしまうでしょう。

  欲求についても反例が作れます。例えば次のような場合。

 

欲求の表象内容の定式化に関する反例

あなたは「水を飲みたい」と思っており、「蛇口をひねれば水が出てくる」という信念も持っている。これらの欲求と信念は「蛇口をひねる」という行為を引き起こす。しかし、実際に蛇口をひねってみると水道が止まっており、水を飲むことはできなかった。


 これも先ほどの双条件文に反します。最初の信念が「水を飲みたい」という内容を持っていたのなら、あなたはまさにその内容にあたる行為、すなわち水を飲むという行為をするのでなければなりません。しかし実際にあなたがしたのは、蛇口をひねると言う行為だけです。このときあなたは、「水を飲む」という欲求を持たず、「蛇口をひねる」という欲求だけを持っていたことになってしまいます。これは非常にまずい。

 また、この説明では、進化論的目的との関連性は欲求だけに付与されていますが、この点にも疑念があります。目的論的機能主義者は、実際に水がある場合に水があるという信念を持つことは、それだけで進化論的目的にかなうと考えるはずです。(少なくとも私はそのように理解しています。)しかし、金杉さんの定式化からはこのような含意が抜け落ちています。

 さらに正確を期すならば、表象が持つ目的論的機能は派生的な目的論的機能でしかありません。第一義的に目的論的機能を持つのは、例えば神経システムであり、その目的論的機能は、表象を生み出し、消費することです。このシステムの目的論的機能から派生する形で、例えば信念は、世界を記述するという派生的な目的論的機能を持ちます。


 もちろん金杉さんはこれらのことを理解していなかったのではなく、入門書としての可読性への配慮から、表象を生産・消費するシステムについて詳述することは避けたのだと思います。しかし、ここを省略すると、目的論的機能主義の洞察の核心が取り逃がされてしまいます。和訳のあるミリカンの著書から引用すれば、「あなたの真なる表象が志向的表象であるためには、表象を作ることがそれを生み出したシステムの目的ないし機能でなければならない」ということが、目的論的機能主義にとって最も重要な前提のはずだからです*1

 

改良の方針

 改良の方針としては、産出システムと消費システムに言及するようにすること、また、無理に必要十分条件の形で提示しない、ということになるのではないかと思います。より正確を期そうとすれば適応度や固有機能といったミリカンの使う概念が次々に登場してくることになるため、それをどこまで許容できるかは難しい仕事になるとは思います。

 本当は改良版の説明や定式化を提示すべきなのでしょう、論文というわけではないので、これくらいにしておきたいと思います。どなたかよりうまく説明できる方がよりわかりやすい説明を追加してくれることを期待します。

 また、『心の哲学入門』よりはハイレベルになってしまいますが、信原幸弘『心の現代哲学』(勁草書房)の第4章が、ここで問題にした点に関するより的確な説明をあたえています。私が示した反例を念頭に置いて読んでみると、これらを周到に回避する説明になっていることが理解できるでしょう。より詳しく勉強したい方は、合わせて読まれることをおすすめします。

 

心の現代哲学

心の現代哲学

 

 

※いよいよ今週末、東京にて「ヘーゲル(再)入門ツアー」というレクチャーを実施します。おかげさまで満員→増席の運びとなりました。高校生限定の無料チケットもあります! チケット残り少なくなってきたようです。この記事との関係で言えば、分析系の議論に親しみながらヘーゲルを読むとどうなるか、という観点からも楽しんでいただける内容にしたいと思っています。

 

www.gaccoh.jp

 

passmarket.yahoo.co.jp

 

*1:ミリカン『意味と目的の世界——生物学の哲学から』(信原幸弘訳、勁草書房、2007年、89頁)。ちなみにこの本の原題はVarieties of Meaningで、個別科学の哲学としての「生物学の哲学」の本ではない。

ヘーゲル入門は『歴史哲学講義』から?

ヘーゲル(再)入門ツアー東京編の開催まで2週間を切りました。宣伝を兼ねて、ヘーゲル入門に関する記事を追加したいと思います。

 

ヘーゲル哲学に入門するには、まずは岩波文庫にもある『歴史哲学講義』から」。哲学史の入門書や、インターネット上の哲学入門系の記事にはこう書かれているものも多くあります。しかし、私はこれには賛同しません。


これは一つには、講義録の文献学的な位置づけが微妙だからです。ヘーゲルの講義録が実際の講義ノートではなく、複数年度にわたる講義ノートを編集して作られたものである、ということは、研究者の間では常識になっています。このあたりの事情は1990年代の日本のヘーゲル研究書のほとんどで詳しく触れられています。また、昨年出版された『世界史の哲学講義1822/23年』の訳者、伊坂青司先生による解説もwebで読むことが出来ます。

gendai.ismedia.jp


これにくわえて私が懸念するのは、『歴史哲学講義』だけを読んでも、哲学史の中にヘーゲルをうまく位置づけることができない、ということです。


哲学史の教科書では、デカルト→ロック→カントという順序で、近代の認識論的な哲学がどのように発展してきたかが整理されることが普通でしょう。この流れから見るとき、「歴史の目的論」のような議論はあまりにも唐突に思えます。また、「世界精神」に関する議論も、いかにも前近代的なオカルトに見えるのではないでしょうか。哲学史の学習という観点からすると、この読み方では、カントとヘーゲルの間に大きな断絶が生じてしまいます。


この流れを断ち切らずに、哲学史をなるべく体系的に理解するためには、『歴史哲学講義』ではなく、どうしても主著と言われる『精神現象学』や『大論理学』を読まなければなりません。


たしかに『精神現象学』も『大論理学』も難しく、初学者が一人で読み通せる代物ではありません。これに対して『歴史哲学講義』は比較的読みやすく、なんとか読み切ることもできるでしょう。しかし、読み切ることを目的とするのは本末転倒に思えます。たとえば精神現象学の「序文」と「序論」だけにでも挑戦して、途中で挫折したとしてもヘーゲルのトーンをつかんでおいた方が、哲学史を学ぶ上では意味があると思います。

 

もちろん、まさに歴史哲学に興味がある、という方は、文献学上の問題に注意した上で、『歴史哲学講義』から読み始めてもよいと思います。同様に、美学に興味がある方は美学講義から、社会哲学・法哲学に興味がある方は『法の哲学』から読む方が得策でしょう。私が問題視しているのは、そうした目的意識なしに、ヘーゲルといえば『歴史哲学講義』という誤解が生じてしまうことです。


※「ヘーゲル(再)入門ツアー」では、カントからの流れを断ち切らず、主著からヘーゲルに入門するためのレクチャーを行う予定です。おかげさまで満員→増席の運びとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。高校生限定の無料チケットもあります!

 

www.gaccoh.jp

 

passmarket.yahoo.co.jp

 

ヘーゲルと観念論(ヘーゲル(再)入門ツアー・予稿その2)

 前回の記事で、「正反合」や歴史の目的論だけがヘーゲル哲学ではない、ということをお話ししました。

kkawasee.hatenablog.com

では、ヘーゲル理論哲学とは一体何なのか、というのがこの記事のテーマです。


ヘーゲルには方法論しかない?

 「弁証法」があまりにも強調されすぎたことの負の遺産として、ヘーゲルは方法論に関しては功績があったが、哲学の内容にかんしては目立った功績がなかった、という誤解が広まってしまった、という理解が一般に流布していることがあります。例えば『ソフィーの世界』にはこれに近い記述があります。これは、ヘーゲル的な方法論だけを採用し、換骨奪胎しようとしたマルクス主義的な解釈の名残でもあるでしょう。あるいは、いわゆる歴史の目的論こそがヘーゲル哲学だというヘーゲル理解も登場してきました。

 しかし、当たり前のことですが、ヘーゲルにはヘーゲルなりの関心があり、哲学的な問題がありました。しかも彼の関心の中心は、人口に膾炙した歴史の目的論とは別のところにあります。それは何でしょうか。


ヘーゲルの観念論

 ヘーゲル哲学の中心的な関心事とは何でしょうか。ヘーゲル弁証法的な「対立」を強調することで、何を論じようとしたのでしょうか。


 主著『大論理学』で、ヘーゲルが論じていたのはいわゆる理論哲学に関する内容、つまり、認識や存在に関する問題です。また、『精神現象学』では、理論哲学と実践哲学は不可分な仕方で論じられます。これらの議論において、弁証法的な「対立」の中で最も重要なものは、主観と客観の対立です。つまり、私たちの主観的な認識と、客観的な世界そのもののあり方の間にあるとされる対立です。

 問題を鮮明にするには、懐疑論について考えてみるのがよいでしょう。古典的な問いとして、今あなたがこのブログを読んでいるということは夢ではなく現実だとなぜ言えるのか? といった問題を考えることができます。このような疑念が生じてくるのは、私たちが正しいと思っていること(主観的な認識)と、本当に生じていること(客観的な世界そのもののあり方)の間に断絶や対立があるように思われるからです。

 こうした問題関心は、基本的にカント哲学の延長線上に成立しています。そもそもそうでなければ、なぜヘーゲル哲学が「ドイツ観念論」と呼ばれてきたのかを理解することも難しいでしょう。(ただし、近年では当時のドイツにおけるより多様な思想の展開を総体として扱うべきだという観点から、「ドイツ観念論」よりも「ドイツ古典哲学」という言葉がより好まれる傾向にあります。)カントが超越論的観念論を提唱し、ヘーゲル弁証法と歴史の目的論を提唱した、という通俗的哲学史では、二人のつながりが全く見えてきません。それなのに二人がひとまとめのように扱われることに違和感を覚えたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 このような観点からヘーゲルの理論哲学を理解するための入り口として、まずはカントとの違いを抑えることが重要です。カントは、私たちの認識の対象を「現象」と呼び、これは我々の認識作用と不可分でありながら、同時に客観的に存在すると主張しました。また、現象とは別に、認識と独立に存在する「物自体」があるとしました。これに対して、ヘーゲルにおいては、存在するものは、カントが物自体と呼んだものも含めて、さしあたりは人間の認識の対象となるものとして把握されます。それとは別に「物自体」を想定することをヘーゲルはよしとしません。こうしたことは専門の研究者の間では常識に属することですが、まだまだ一般には、それどころかヘーゲルを専門としない哲学者の間でも、十分には知られていないように思えます。

 したがって、「物自体も含め全ては認識の対象となり、認識と不可分のものである」というのがヘーゲルの出発点ということになります。もちろんこのように主張しただけでは、我々が認識するものだけがあるというバークリー的な観念論や、我々は客観的なものについて知ることができないとする懐疑論、自分だけが存在し、それ以外のものは何も存在しないという独我論といった立場に肉薄してしまいます。ヘーゲルはこれらの立場を取るわけでもありません。つまり、思考によって初めて可能になるものではあるが、しかし同時にどうにかして客観的でもあるものとしてこの世界が把握される、というのがヘーゲル哲学の基本図式ということになります。


 さしあたりこれを入り口として、ここで出てきた「どうにかして」の中身を掘り下げて考えてゆくことが、ヘーゲルを読むときの一つの道筋となります。これはまさにヘーゲルをどう読み、どう理解するかという問題に関わりますので、「入り口」を超えた、中身の問題と言えるでしょう。まずは「弁証法」に加えて、「絶対的観念論」のキーワードを入り口として示しておけば、興味のある方は掘り下げてゆくことが可能になるのではないかと思います。

 

ヘーゲル(再)入門ツアーでは、ここで論じたことをよりかみ砕いてご紹介する予定です。もちろんその過程で話題を取捨選択したり、別の話題を選択したりする可能性もあります。「ヘーゲル(再)入門ツアー」の詳細は、下記リンクから、どうぞよろしくお願いいたします。

www.gaccoh.jp

passmarket.yahoo.co.jp

passmarket.yahoo.co.jp

ヘーゲルと弁証法(ヘーゲル(再)入門ツアー・予稿)

 ヘーゲル(再)入門ツアーに向けて、ブレストと宣伝を兼ねて、(できればこの先もシリーズで)記事を書いてみたいと思います。


ヘーゲルは「正反合」と言ったか?


 高校倫理などの初級の哲学史では、哲学者はキャッチフレーズとともに教えられます。デカルトなら「われ思うゆえにわれあり」、ロックなら「タブラ・ラサ」カントなら「コペルニクス的転回」や「超越論的観念論」あたりがそれでしょう。ヘーゲルの場合、「弁証法」がそれにあたります。 

 それでは弁証法とは何でしょうか。テーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を止揚アウフヘーベン)したジンテーゼ(合)へと発展してゆく図式のことだ、というのが、教科書によく出てくる説明でしょう。もちろん教科書的な図式で、哲学者の思考をそのまま紹介することはできません。どうしても解像度が低くなってしまいます。しかし、それにしてもこの図式はあまりにもヘーゲル哲学とかけ離れています。

 最大の問題は、そもそもヘーゲルは「正反合」とは言っていないということです。不在の証明になるので完全に検証することは難しいのですが、、さしあたりはアクセスしやすい文献として、加藤尚武氏による辞書項目を提示しておきたいと思います。

kotobank.jp

 

「正反合」の何が問題か


 「正反合」の図式だけ取り出すことの大きな問題は、単に「折衷案を考えよ」と言っているにすぎないように見えてしまうことです。小池百合子東京都知事が「アウフヘーベン」という言葉を使ったとき、テレビのワイドショーでは「いちご」と「大福」をアウフヘーベンして「いちご大福」を作る、という例が用いられていたと記憶しています。実際、弁証法アウフヘーベンという言葉は、一般的にこのような意味として理解されているように思います。

 しかし、これは哲学と言えるかどうかすら微妙です。むしろ、ある種のクリティカル・シンキングの方法論と言うべきでしょう。もちろんそれは有用な考え方ではありますが、ヘーゲルの「哲学」がここに集約されるとすると、ヘーゲルにはそもそも哲学がないかのように見えてしまいます。また、「対立する意見を折衷する」という考え方が、1800年ごろのヘーゲルによって初めて提示された、とするのも、常識的な感覚からかけ離れています。それまでも人類は折衷案を考えながらやってきたはずです。

 とはいえ、私はここで、「弁証法警察」がやりたいわけではありません。このような図式で弁証法アウフヘーベンを理解することは、ヘーゲルの術語の理解としては誤解であるにせよ、まさにクリティカル・シンキングの方法論としては有効です。「折衷案を考えるための思考法」に「弁証法」という名前がついているのはそれなりに便利でもあるとも思います。

 私がここで問題にしたいのは、この通俗的な意味での「弁証法」を知っていても、ヘーゲル哲学入門にあまり役立たないということです。デカルトの「われおもうゆえにわれあり」やカントの「コペルニクス的転回」についてなんとなくイメージを持っておくことは、もちろん注意深さは必要ですが、多少の誤解や過度なデフォルメを含んでいたとしても、それなりに入門に役立ちます。しかしヘーゲルの「弁証法」はそうではないのです。『弁証法」はもちろんヘーゲル哲学の鍵概念ではありますが、ヘーゲルを呼んでも、弁証法=正反合という方法論についてまとまって論じられている箇所は出てきません。それとはあまり関係なさそうな、しかも非常に難解な叙述が続き、読者は取り残されることになってしまいます。

 このことは、この図式で比較的うまく捉えられる箇所だけがヘーゲルの思想として取り出されてくるという事態も生んでいるように思います。これがもっとも顕著なのは高校倫理で、まるで正反合の弁証法と、目的論的な歴史哲学、それに社会哲学における家族・市民社会・国家および法・道徳・人倫の「正反合」だけがヘーゲル哲学であるかのように書かれてしまっています。(ちなみに今年のセンター試験では、このようなヘーゲル理解に基づいた問題が出題されました。)しかしこれはヘーゲル哲学のほんの一面にすぎません。社会思想は『法の哲学』をベースにしていますし、歴史哲学は『歴史哲学講義』をベースにしたもの。主著『精神現象学』や『大論理学』の内容とは異なります。カントにたとえれば、『永遠平和のために』だけが紹介され、三批判書には一切触れずに、これがカント哲学だと言われているかのような違和感があります。

弁証法」をどう扱うか


 そうはいっても、正反合の弁証法ヘーゲル哲学ではない、と言われると、ヘーゲル哲学のイメージが全く抱けなくなってしまうという方も多いでしょう。この問題への処方箋として、「弁証法」と「アウフヘーベン」を切り離して考えておくことが、入門には役立つのではないかと思います。

 「弁証法」は、極限まで解像度を落として言えば、「二つの考え方の対立」に注目する考え方のこと。カントが自由と必然性の対立などの問題を論じる箇所は「弁証法」と同じ「ディアレクティケー」という言葉(「弁証論」と訳される)で名指されますが、基本的にはこれと同じ意味でヘーゲルはこの語を用いていると思います。ヘーゲルにおいて弁証法が鍵概念であるというのは、様々なトピックに関してこのような対立図式がよく出てきますよ、ということであって、「弁証法」という方法論についてヘーゲルがまとまった論考を残していますよ、という意味ではないのです。

 この弁証法と、「アウフヘーベン」はさしあたり独立に理解できます。ドイツ語のアウフヘーベン(aufheben)には、「拾い上げる」と「捨てる」の両方の意味があります。そして、ヘーゲルはしばしばこの多義性を強調し、利用しています。ここで注意すべきなのは、「アウフヘーベン」という語そのものには、「対立物を総合・折衷する」という含みはない、ということです。

 「アウフヘーベン」にもっとも近い日本語は、「洗練させる」ではないかと私は思っています(もちろん同じではありませんが)。アウフヘーベンは必ずしも対立物の総合ではありません。そうではなく、一つのもの(概念)をよく見て、その問題点を見つけ、それを取り除いてより良質なものを作り出す。これがアウフヘーベンの核となるイメージです。おいしいコーヒーをいれるには、問題のある「欠点豆」を取り除く作業が非常に重要だと言いますが、これなどが「アウフヘーベン」の語感に非常に良く合う例だと思います。悪いものを「捨てて」、よいものを「拾い上げる」。この両者を合わせて、「アウフヘーベン」と言うのです。

 たしかに、弁証法アウフヘーベンの両者を合わせて考えると、「対立物それぞれの悪いところを取り除いて、良いところを合わせて折衷する」という、おなじみの「正反合」に近い図式が出てきます。しかし、実際のヘーゲルのテクストでは、これらは常に一緒に出てくるわけではありません。バラバラに出てくる箇所を全て「正反合」で無理に読もうとしてもうまくいきません。


ヘーゲル(再)入門ツアーでは、ここで論じたことをよりかみ砕いてご紹介する予定です。もちろんその過程で話題を取捨選択したり、別の話題を選択したりする可能性もあります。「ヘーゲル(再)入門ツアー」の詳細は、下記リンクから、どうぞよろしくお願いいたします。

www.gaccoh.jp

passmarket.yahoo.co.jp

passmarket.yahoo.co.jp

 

教科書としての哲学系新書レビュー

私は、新書レベルの本を学生に自ら読み進めさせ、それを通じて学習させる科目として、「現代哲学」と「哲学史」を担当しています。LTD話し合い学習法をアレンジした主要、毎学期新書2冊を読み切るペースで授業しています。そこで教科書として使った哲学系新書について、実際に使ってみた感想をレビューしてみたいと思います。
 
前提として、一学期15コマをかけて、新書2冊を読む形式を取っています。ただし、途中の章を省くなど、授業巣に合わせて調整している場合もあります。授業の進め方について詳しくは別の記事にまとめましたので、そちらもご参照ください。
 

A. 現代哲学系

現代哲学に関する科目はすでに3年目。4学期間にわたって担当しました。ここで使用した4冊について、教科書としての使用感という観点からレビューします。
 
1.児玉聡『功利主義入門』筑摩新書
非常にわかりやすく、学生からの評判も頗る良い本。私の授業を履修する学生は一度は規範倫理の基礎を学んでおり、功利主義と義務論について最低限の知識は持った上で読んでいるので、完全な初心者ではありません。しかし、知識ゼロから読み始めても十分読めるのではないかと思います。
 
教科書として使う場合、章の長さがアンバランスなので、そのあたりに注意して運用する必要がああります。具体的には、3章と4章は内容的にも連続しているので、一緒に扱うようにするとバランスがよくなります。後半でパターナリズムとの関係を論じる箇所は少し複雑になるので、正確な理解のためには少し詳しい解説が必要になるでしょう。

 

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

 

 

 
2.青山拓夫『分析哲学講義』筑摩新書
学生が自ら読み進めるには難しすぎたようでした。途中から全く意味が分からない、という感想が続出。結局、教科書としての使用は1年で断念することとなってしまいました。
 
とはいえ、言語哲学をかなり深く扱い、かつ形而上学にまで目をとどかせながら、新書のコンパクトさでこれ以上わかりやすく論じることは不可能だと思います。自ら読み進めるのではなく、ある程度解説・補助を手厚くしながら教えなければ、そもそも言語哲学を学ぶことは難しいという印象。

 

分析哲学講義 (ちくま新書)

分析哲学講義 (ちくま新書)

 

 

 
3.柴田正良『ロボットの心』講談社現代新書
一部専門的な議論もなされているが、学生同士の話し合いの中で疑問点を解決できるという意味で、ちょうどよいレベルの本。「一人で読んでもわからなかったが、授業で話し合う中で理解を深めることができた」という感想が、学生からも多く寄せられました。
 
しかし、筆者のギャグを交えた軽妙すぎる語り口が非常に不評でした。議論の展開方法やアウトラインに目を向けてほしいのに、笑いを狙った箇所で「このハテナマークは何!?」などと引っかかってしまう学生が続出。好き嫌いが分かれるところだとは思うが、教材としてはこの点が不向きだと言わざるを得ませんでした。

 

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

ロボットの心-7つの哲学物語 (講談社現代新書)

 

 

4.佐々木健一『美学への招待』中公新書
これも、はじめはよくわからないという感想が続出するが、読み進めて行くうちに学生の読書レベルが上がることを実感できるという意味で、教材に適した本。
 
哲学者の名前が解説なしに登場するなど、思想史的な知識が当然の教養として要求されるので、その点で脱落しそうになる学生が多い点には注意が必要です。その点の知識を補い、教員がうまくモチベートすることができれば、一見難しそうな本から、議論の骨子を読み取る訓練ができるでしょう。

 

美学への招待 (中公新書)

美学への招待 (中公新書)

 

 

B. 哲学史

哲学史系の新書を読む授業は本年度から新たに開講し、現在ちょうど1学期ぶんが終わったところである。哲学史系の方が豊富に新書があるため、まだまだ開拓の余地があると感じています。さしあたり、今年使った2冊をレビュー。
 
5.納富信留プラトンとの哲学』岩波新書
哲学の意義を問う『ゴルギアス』篇から始まる導入が素晴らしく、難解な箇所が少しくらいあっても読ませるだけの魅力のある本。自ら学ばせる教科書という意味では、哲学史の本にありがちな、対象の哲学者の生涯から始まらないのも使いやすい。
 
後半は『ティマイオス』の宇宙論などかなり難しいテーマも入ってきますが、プラトンを通して、人生訓だけでない、哲学の広がりに触れることが出来るというメリットもあります。問題点としては、「プラトンさん」と二人称で呼びかける箇所に戸惑う学生が多い。とくに、「あなた」が読者を指すのかプラトンを指すのかわかりにくいという意見が目立ちました。
 
6.御子柴善之『自分で考える勇気——カント哲学入門』岩波ジュニア新書
 
発売直後から評判が高く、すでに定番の地位を確立したカントの入門書。善に関する問題から必然性へのカントのこだわりを説明し、その観点から三批判書をまとめて扱おうとする点に特色があります。ジュニア新書とはいってもそれなりに骨があるので、大学の教科書としても十分使えるレベル。
 
かなりわかりやすく書かれているとは言え、超越論的観念論が登場する箇所は、解説なしで理解するのはかなり苦しそうでした。また、どうしてもカント用語がたくさんでてきてしまうので、関係を整理するのはなかなか難しいようにも思います。十分よい本ではあるが、近代哲学については他にも候補がたくさんあるので、そもそもカントでなっくてもよいのではないかというのが悩みどころです。 
レビューは以上です。実際に授業をしていて感じるのは、分析系の理論哲学に関する手軽な新書が少ない、ということです。まだ使っていないものとして森田邦久『科学哲学講義』(筑摩新書)がありますが、そもそも物理選択者の少ない本学では難しいだろうと感じ、採用はしていません。現代哲学と題して倫理学と美学しか扱わないという状況には問題も感じるので、何かよい本を探したいところ。

「LTD話し合い学習法」のアレンジ事例の共有

「LTD話し合い学習法」について

LTD「話し合い学習法」と呼ばれる学習法があります。私の授業では、これをアレンジした手法を「ディスカッション学習」と勝手に呼んで実施しています。この記事では、この手法について事例を共有したいと思います。
 
「LTD話し合い学習法」は、話し合いを通じてテクストの理解を深めるための学習法です(LTDはLearning Through Discussionの略)。テクストを元にした予習と、授業における話し合いがかなり詳細に構造化されていることに特徴があり、それぞれ八つのステップに分かれています。このような構造化によって、ディスカッションになれていない学生たちも、スムーズに話し合いを進めることができるようになっています。授業では、4〜6人程度のグループに分けて、グループ内で話し合いをさせています。
 
クラスサイズとしては、10人から50人程度までなら実施可能です。
 

ディスカッション学習の利点

ディスカッション学習の利点は、なんと言っても学生の自律的な学びを促せることです。自ら本を読み、話し合うことで、一人での読書とは全く異なる体験をさせることができます。
 
また、意外に思われるかもしれませんが、この方法は教員にとっては非常に負担の少ない授業方法です。テクストの選定や、ワークシート等の準備さえきちんとしていれば、そして最初の数回さえきちんと介入して話し合いができるように促しさえすれば、あとは毎回の授業準備も(テクストの内容を理解できている限りで)ほぼ不要で、授業中も話し合いの様子を眺めているだけで十分です。授業中にワークシートをもとに成績をつけたりすることもでき、教育関連業務の時間を大幅に圧縮できます。この点で、一石二鳥の方法と言えます。
 

実際の進め方

私の授業では、予習パート、ディスカッションパートはそれぞれ以下の八つのステップに分けています。学生に配布している資料からそのまま引用します。
 
予習パート
STEP1 課題文の通読
STEP2 語彙の理解
  • 課題文中の難しかった言葉を書き出し、その意味を調べてワークシートにまとめます。
  • 意味を調べるときは、百科事典などの参考図書を活用してください。インターネットを使う場合は、出典が明らかなもののみを使ってください。個人のwebサイトやWikipediaヤフー知恵袋NAVERまとめなどは、この目的の資料としては不適切です。
 
STEP3 主張の理解
  • 文章で最も重要な点を、自分の言葉で言い直します。全体を通して、筆者が一番言いたいことは何かを考えて書きましょう。このとき、できるだけ「抜き書き」せず、自分の言葉で書いてみてください。
 
STEP4 構造の理解
  • 文章全体の構造(アウトライン)を取り出してまとめます。筆者の主張を支持する根拠や事例を探し、つながりを明らかにするとよいでしょう。
 
STEP5 他の知識との関連づけ
  • 課題文以外から得た知識のうち、課題文の内容と関連のあるものをまとめます。
  • 「課題文以外から得た知識」には、以下のものが含まれます。
  • 他の文献や資料、授業等で知った内容
  • ニュースなどで知った内容
  • 日常生活の中で見聞した内容
  • あなたの知識と、課題文の主張との類似点や相違点を検討し、新たに気づいたことも書き出します。
  • 何も思い浮かばなければ、図書館等で関連する事典・書籍・論文を調べてください。
  • 上の作業を通じて、新たに生じた疑問があれば、それも書き留めておきます。
 
STEP6 知識の再構築
  • 課題文を読んだことで、自分の考えがどんなふうに変わったか、特に納得できたことは何か等をまとめます。読んで考えたことを、あなた自身の血肉にするためのステップです。
  • 課題文と関連する自分の体験などがあれば、それについてもまとめるともよいでしょう。
 
STEP7 課題文の評価
  • 課題文の優れたところや、課題文の問題点を書きます。
  • 好き嫌いで書くのではなく、理由を挙げて論理的に書くことが重要です。
  • 「課題文のこの点に問題があるため、このように修正するとよい」のような、建設的な評価ができるとよいでしょう。
 
STEP8 ディスカッションのシミュレーション
  • ディスカッションの質を高めるために、作成したノートをもとに、ディスカッションをシミュレートします。
  • ディスカッションの各ステップで、自分は何をどのように発言するか、また、どのような質問がありうるか、それにどのように答えればよいかを考えます。
 
ディスカッションパート
STEP1 導入(3分)
  • 挨拶をし、体調などの状態を伝えます。また、予習の程度を報告します。集中してディスカッションに入るための、「心の準備」の時間でもあります。
 
STEP2 語彙の理解(3分)
  • ワークシートを手掛かりに、言葉の意味を確認します。わからなかった言葉の意味を質問するのもOKです。
 
STEP3 主張の理解(3分)
  • 予習をもとに、筆者が最も言いたいことは何かを話し合います。予習の段階で意見が食い違っていれば、どの部分がより重要かを皆で考えます。
 
STEP4 構造の理解(12分)
  • 文章全体のアウトラインをお互いに発表し、主張と根拠、具体例等の関係を整理します。
  • 文章の内容理解に関わる最後のステップです。おおまかなアウトラインがわかったら、細部にわたるまで、なるべくわからないところが残らないようにお互いに質問し合って議論しましょう。
 
STEP5 他の知識との関連づけ(15分)
  • ワークシートにまとめた関連する知識や、それと課題文の主張との類似点や相違点をお互いに共有します。
  • ディスカッションの中で新たに思いついたことも、この時間に共有します。その場でスマートフォン等で検索したりしても構いません。ただし、事前に一度調べてきていることは前提です。
  • 他のメンバーのアイディアを知り、一人では思いつかなかった視点から課題文を再度検討します。
 
STEP6 知識の再構築(12分)
  • ワークシートにまとめた、自分の考えの変化や、自分の体験と課題文との関連について、お互いに共有します。
  • 課題文で得られた知識から、今後の学生生活や人生で活かしたい教訓について、お互いに共有するようにします。
 
STEP7 課題文の評価(3分)
  • 課題文の良い点・気になる点について話し合います。
  • 時間をあえて短く設定しています。課題文の長所・短所をすべて挙げるのではなく、最も重要な点についてのみ話し合うことが重要です。
 
STEP8 活動の評価(6分)
  • 配布するルーブリックを用いて、グループ活動を評価します。
  • グループ活動の評価が終わったら、個人の活動を振り返ります。

  

アレンジした箇所について

これらのうち、STEP4,5,6については、私なりのアレンジを加えてあります。まずSTEP4。このステップは、ベーシックなLTDでは「話題の理解」とされています。しかし、これでは何をすればよいか伝わりにくく、また、テクスト全体の構造をつかむことは是非おこなってほしいという思いもあり、「構造の理解」と代えました。STEP5は、通常は「知識の統合」ですが、これでは学生に何をすればよいかが伝わらないため、「他の知識との関連付け」と変えています。また、新書とは言え哲学書を読む授業なので、既有知識との関連付けと言われてもよくわからない学生がほとんどです。このため、「関連知識を調べる」ことにも重点を置いています。また、通常のLTDではこのステップは「ベース」「ターゲット」と言ったアナロジー思考に関わる語彙を用いて進められますが、これらについては思い切ってすべて省いています。STEP6は、通常は「知識の適用」ですが、これも学生に伝わりにくいため、「知識の再構築」と変えました。また、通常このステップでは個人的な体験とテクストを関連付けるのですが、必ずしもテクストが自分の体験と結びつくとは限らないため、「自分の考えがどんなふうに変わったか」をまとめさせています。
 
これらの変更を加える上で、特にSTEP5と6については、LTD話し合い学習法の各ステップが依拠しているブルームのタキソノミーに立ち返って検討しました。つまり、通常のLTDの手法から外れたとしても、「応用」「分析」「統合」の各認知的領域のスキルに対応するという眼目だけは外さないように留意して変更しました。
 
各ステップの変更の他に、通常のLTDと大きく異なるアレンジを加えているところが3点あります。一点目は、「主張の理解」の時間を6分から3分に短縮していることです。このステップは時間が余ってしまうことが多かったため、3分に変更したところ、間延びすることなくディスカッションが進むようになりました。
 
二点目は、ワークシートの導入です。通常のLTDではノートに予習をまとめてくることになっていますが、私の授業では、ワークシートを作成し、配布しています。これにより、予習の意欲を高めるだけでなく、求められている予習の分量について、視覚的にわかりやすくすることを狙っています。さらに、ワークシートをコピーして授業前に回収することで、授業中に予習の状況を把握しやすくなり、学生がディスカッションしている時間を利用して評価をつけることも可能になります。また、これに加えて、愛知学院大学の山口拓史先生が論文中で公開されている資料を参考に「活動記録用紙」を作成し、配布しています。(山口 2013「教養セミナーにおけるLTD話し合い学習法の志向的導入」http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_60_4F/13_60_4_111.pdf
 
三点目は、「活動の評価」のアレンジです。通常のLTDでは、活動の評価は話し合いを通じて行うこととなっていますが、何度やってもこれがうまくいかず、雑談の時間となってしまう現象が起こっていました。このため、思い切って普通の話し合いによる「活動の評価」をやめ、各グループに1枚ずつルーブリックを配布することにしました。ルーブリックをもとに、その日の活動がどうだったか評価させています。
 

授業実施上のポイント

実際の授業では、出席確認と60分程度の話し合いのあとで、15分ほど時間が余ります。この時間に、その日のテクストについて、教員が改めて解説することで、理解を補っています。
 
LTDを初めて導入するときにもっとも不安なのは、「学生は本当に予習してくるのか?」ということと、「話し合いはスムーズにすすむのか?」ということでしょう。これらについては、ある程度運用でカバーしていく必要があります。
 
まず、予習について。私の授業では、初回に、予習と話し合いの「体験版」を実施します。毎回ほぼ新書1章分、20〜30ページ程度を範囲としてディスカッションさせていますが、初回は、ガイダンスの後、教科書となる新書の序論部を10ページ程度読ませて、30分程度、STEP4までの予習をさせます。このとき、進度が遅い学生には、特にSTEP3に力を入れるよう指示しておきます。その後、STEP4まで話し合いをさせます。STEP4の時間は6分程度に短縮するとよいでしょう。この「体験版」のディスカッション学習を通じて、学生は「どんな予習をすればよいか」を理解できるだけでなく、「自分が予習をしてこないとどんな困ったことになるか」を身をもって理解することができます。
 
次に、「話し合いはスムーズに進むのか?」について。3年間に渡って実施してきた実感として、最初の数回は、教員が積極的に介入したほうがよい場面が多々見られます。しかし、その時期を過ぎれば、学生も活動になれ、自分たちなりに工夫して話し合いを進めることができるようになります。学生の様子をよく見て、4,5回目ごろから介入を減らしてゆくことがポイントです。
 
また、LTDは原理的にはどのようなテクストでも実施できるとなっていますが、実際にはテクストの難易度が活動全体の難易度に直結します。これについても、学生のレベルに合わせて試行錯誤しながら選んでゆく必要があるでしょう。
 
私の授業では、児玉聡『功利主義入門』(ちくま新書)や佐々木健一『美学への招待』(中公新書)、納富信留プラトンとの哲学』(岩波新書)等を3・4年生向け、小林亜津子『はじめて学ぶ生命倫理』(ちくまプリマー新書)、本田由紀『教育の商業的意義』(ちくま新書)等を1年生向けのテキストにしています。

 

 

その他の資料について

私が用いているワークシートや説明用紙について、リサーチマップで共有したいと思います。教育目的でしたら自由に利用して頂いて構いませんので、よろしければご参照ください。
 
LTD話し合い学習法については、より詳しく知りたい方には、以下の二つの記事をおすすめします。さらに詳しくは、関連書籍が2冊出版されていますので、そちらもご参照ください。
 
安永悟(2011)「LTD話し合い学習法」
 

安田利枝(2008)「LTD話し合い学習法の実践報告と考察 : 学ぶ楽しさへの導入という利点」https://ci.nii.ac.jp/naid/110006979679

 
LTD話し合い学習法

LTD話し合い学習法

 
実践・LTD話し合い学習法

実践・LTD話し合い学習法

 

 

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)

功利主義入門―はじめての倫理学 (ちくま新書)