ヘーゲル入門は『歴史哲学講義』から?
ヘーゲル(再)入門ツアー東京編の開催まで2週間を切りました。宣伝を兼ねて、ヘーゲル入門に関する記事を追加したいと思います。
「ヘーゲル哲学に入門するには、まずは岩波文庫にもある『歴史哲学講義』から」。哲学史の入門書や、インターネット上の哲学入門系の記事にはこう書かれているものも多くあります。しかし、私はこれには賛同しません。
これは一つには、講義録の文献学的な位置づけが微妙だからです。ヘーゲルの講義録が実際の講義ノートではなく、複数年度にわたる講義ノートを編集して作られたものである、ということは、研究者の間では常識になっています。このあたりの事情は1990年代の日本のヘーゲル研究書のほとんどで詳しく触れられています。また、昨年出版された『世界史の哲学講義1822/23年』の訳者、伊坂青司先生による解説もwebで読むことが出来ます。
これにくわえて私が懸念するのは、『歴史哲学講義』だけを読んでも、哲学史の中にヘーゲルをうまく位置づけることができない、ということです。
哲学史の教科書では、デカルト→ロック→カントという順序で、近代の認識論的な哲学がどのように発展してきたかが整理されることが普通でしょう。この流れから見るとき、「歴史の目的論」のような議論はあまりにも唐突に思えます。また、「世界精神」に関する議論も、いかにも前近代的なオカルトに見えるのではないでしょうか。哲学史の学習という観点からすると、この読み方では、カントとヘーゲルの間に大きな断絶が生じてしまいます。
この流れを断ち切らずに、哲学史をなるべく体系的に理解するためには、『歴史哲学講義』ではなく、どうしても主著と言われる『精神現象学』や『大論理学』を読まなければなりません。
たしかに『精神現象学』も『大論理学』も難しく、初学者が一人で読み通せる代物ではありません。これに対して『歴史哲学講義』は比較的読みやすく、なんとか読み切ることもできるでしょう。しかし、読み切ることを目的とするのは本末転倒に思えます。たとえば精神現象学の「序文」と「序論」だけにでも挑戦して、途中で挫折したとしてもヘーゲルのトーンをつかんでおいた方が、哲学史を学ぶ上では意味があると思います。
もちろん、まさに歴史哲学に興味がある、という方は、文献学上の問題に注意した上で、『歴史哲学講義』から読み始めてもよいと思います。同様に、美学に興味がある方は美学講義から、社会哲学・法哲学に興味がある方は『法の哲学』から読む方が得策でしょう。私が問題視しているのは、そうした目的意識なしに、ヘーゲルといえば『歴史哲学講義』という誤解が生じてしまうことです。
※「ヘーゲル(再)入門ツアー」では、カントからの流れを断ち切らず、主著からヘーゲルに入門するためのレクチャーを行う予定です。おかげさまで満員→増席の運びとなりました。どうぞよろしくお願いいたします。高校生限定の無料チケットもあります!