反転授業で学生に初回から予習してもらう工夫
講義内容をビデオ教材で予習させ、授業時間中には演習を行う「反転授業」。この授業形式の問題点として、学生が初めのうちは予習をしてこない、ということが挙げられます。これは映像コンテンツを用いた反転授業に限らず、予習を要求する授業全てに言えることでしょう。真面目に予習をするメリットがあるかないかわからない状況で、予習をしてくる気にはならない、という学生の気持ちも理解できます。
これを解決する工夫として、私の授業では、初回の授業の中で予習を「体験」してもらっています。
私の担当授業では、初年次の演習等、一部の科目で予習を課しています。また、「LTD話し合い学習法」をアレンジした授業も行なっています。これらの授業は、学生が予習をしてきていることを前提にしており、予習をしている学生の割合が7割を切ると、授業の実施自体が困難になります。このため、予習の必要性を早い段階でわかってもらう工夫が必要になりました。
反転授業関連の文献や講演では、最初の数回は予習をしてこない学生に痛い目を見せるしかない、等と言われることがあります。これは確かに一つの解決法で、この方法を用いたとしても、反転授業にはそれを補って余りある効果があるのも事実です。しかし、荒療治であるという感は否めません。
これに対して、私は、初回のガイダンスの授業の後半を予習とそれを使った授業の「体験」にあてることで、予習が必要であることを学生に実感してもらう、というやり方を取っています。少し詳しく書くと、以下の通りです。
- 初回授業前半、通常のガイダンスの段階で、予習が必要であることを強調しておく。
- 実際に予習してもらうのと同様の課題に30分程度取り組ませる(分量の調整は必要)。
- この課題は本来予習として取り組むものであること、実際の授業は、この後のワークからいきなりスタートすることを説明する。
- 実際に、予習を前提したワークに取り組ませる。
この後で、「なぜ予習が必要だとあんなに強調したかわかってもらえましたか?」と尋ねると、学生たちは苦笑しながらも理解してくれます。予習していない状態での授業を90分間体験させるより、お互いに負担や無駄を軽減しつつ予習の必要性をわかってもらえる方法だと感じています。
映像教材を使った反転授業の場合は、その場で各自に映像を見てもらうのは難しいと思います。しかしその場合でも、初回授業の中では文章教材等で予習をさせ、「実際の自宅学習ではこれに相当するような映像を見てもらいます」という解説を加えておけば問題ないでしょう。
初回授業とアイスブレイク
『インタラクティブ・ティーチング』の思い出(と、宣伝)
インタラクティブ・ティーチング―アクティブ・ラーニングを促す授業づくり
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徳島大学を(5ヶ月前に)退職しました
哲学史研究とイノベーション
来週、10月22日(木)から、徳島大学教養教育院(仮)設置準備室・講師の北岡和義先生が中心となった、「徳島大学イノベーションチャレンジ」(TIC)という教育プログラムがスタートします(TICのFacebookページはこちら。)。これに先立ち、15日(木)は、東京大学i.schoolより、エグゼクティブ・ディレクターの堀井秀之先生をお招きした、「第1回イノベーション教育講演会」が行われました。私は、TICの立ち上げにほんの微力ながら協力している縁もあり、スタッフ兼受講生のような形で、お話をお聞きすることができました。
ヘーゲル研究文献レビュー:Paul Redding, "Hegel and Peircean Abduction"
基本情報
著者:Paul Redding
タイトル:Hegel and Peircean Abduction
発表年:2003
媒体:European Journal of Philosophy 11:3, pp.295-313
要約
S. パースの「アブダクション」から説き起こし、カントからヘーゲルへと展開された判断と推論についての議論の中に、その源泉を見出す。その後、アリストテレスの伝統的論理学の枠組みを参照しつつカント、フィヒテ、ヘーゲル、そしてパースの議論についてより詳細な描像を提示する。さらに結論部では、以上の概念史な整理を元に、「知覚判断」の位置づけについて、ブランダムの推論主義やセラーズの「所与の神話」批判をも射程に収めつつ論じる。
コメント
著者は、アリストテレス、パース、カント、フィヒテ、ヘーゲルというどの一人をとっても一冊の本がかけるような大哲学者たちの議論を手際よく比較し、現代的な議論との結節点までをも見出す。まさに「縦横無尽」と言うべきエレガントな哲学史研究である。
気になる点としては、こうしたスタイルの論文では仕方のないことだが、ヘーゲルの文言を詳しく検討した箇所がないということである。しかし、これはこの論文の欠陥ではないだろう。私自身、博士論文の執筆を進める中で、「よい哲学史研究とはどのような研究か」という根源的な問いに再び直面しつつある。哲学史研究では、研究者ごとに少しずつ異なる解像度で過去の哲学者の議論に迫ることが、新たな対話の可能性を開く。これが哲学史研究の醍醐味だと言えるかもしれない。
Analytic Philosophy and the Return of Hegelian Thought (Modern European Philosophy)
- 作者: Paul Redding
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
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FD関連文献レビュー:Joel Michael (2007), Faculty Perceptions About Bariiers to Active Learning
基本情報
- 著者:Joel Michael
- 発表年:2007
- タイトル:Faculty Perceptions About Bariiers to Active Learning
- 媒体:College Teaching, 55:2, 42-47, DOI: 10.3200/CTCH.55.2.42-47
要約
自身のワークショップで収集した質問票のデータをもとに、アクティブ・ラーニングを実施するうえで大学教員にとって何が「障壁」と考えられているのかを明快にまとめた論文。
著者は、アクティブ・ラーニングを実施するうえでの障壁を、以下の三つのカテゴリーに分けて整理している。
- 学生の特徴や貢献
- 教員に直接影響するような、教員の特徴や問題
- 学生の学びに影響するような教育学的問題
1は、「学生がアクティブ・ラーニングのやり方を知らない」等、学生に原因を求めるもの、2は「アクティブ・ラーニングの授業では教員によるコントロールがなされにくい」等、教員に原因を求めるもの、3は言葉の上では少々わかりにくいが、「クラスサイズがアクティブ・ラーニングに向かない」等、設備や制度に原因を求めるものである。
著者によれば、教員が感じる障壁には正しいものもあれば誤解もある。正しいものについては、それを取り除くための方法を、また誤解についてはそれを解くためのFD研修が有効である。ただし、研修の効果は限定的である。著者は、「入念な計画」、「高すぎない目標」、「授業の変化を継続させるためのサポートネットワークの構築」が重要だということを強調する。
コメント
短いながら、FD担当者にとって示唆に富んだ内容となっている。しかし、いくつか留意すべき点もある。
留意すべき点として、まず、「障壁」に関するデータは筆者がワークショップで29名の教員から収集したデータであり、バイアスがかかっている可能性は否定できない。また、筆者が提示する指針はこれまでのFD研修への反省から導き出された提案として理解されるべきものであり、手法としての有効性がデータに基づいて十分確証されたものではない。
これらの問題はあるものの、FD研修は常に特殊な教員の状況に合わせてカスタマイズしなければならないという性格を持つため、完全に客観的なデータではなくても、留保付きの参考データとしてこれらのデータを実践に活かすことは重要である。また筆者の提言についても、日本の、特に四国のような「FD先進地域」におけるFD研修は、浸透・定着しつつある一方で、頭打ち・マンネリ化の兆しもある。こうした状況に照らして、特に「授業の変化を継続させるためのサポートネットワークの構築」といった提案は、我々にとっても重点課題となりうるように思われる。