書評:『ワードマップ現代現象学』(新曜社、2017年)
「現象学は、私たちの経験の探求です」と導入される本書は、フッサールからハイデガーを経てメルロ-ポンティやレヴィナスに至る、という旧来の「現象学入門」のスタイルからは大きく逸脱している。目次を眺めればわかるとおり、志向性、存在、価値、芸術等々のトピックベースで、現象学的なアプローチによる現代的な議論が展開される。まさに「現代現象学」の名にふさわしい入門書である。ちなみに、後書きにもあるとおり、私も一部の章については草稿段階で読ませていただいたことがあるが、全体に目を通したのは書籍になってからである。
ヘーゲルに挫折しないための5冊
1.ヘーゲル哲学入門の難しさ
西洋哲学に興味のある者でその名を知らぬ者はいない、と言ってもよい大哲学者ヘーゲル。しかし、彼の思想を学ぶことには独特の困難が伴います。
1.1 文章が難解すぎる
ヘーゲルの文章は非常に難解で、西洋哲学の中でもトップレベル。ヘーゲル自身も書簡でうまく書けないと嘆いており、専門の論文でも、例えば英語ならdense(濃縮された)やnotrious(悪名高い)と言った表現に何度も出会うほど。いきなりヘーゲルの著作を開いて、数行で挫折してしまった、という方も少なくないでしょう。
1.2 著書が手に入りにくい
哲学の古典と言えばまず思い浮かべる人も多いであろう岩波文庫。その岩波文庫で現在絶版になっていないヘーゲルの著作は、『歴史哲学講義』のみ。ヘーゲルの歴史哲学は確かに有名なのですが、西洋中心主義的な進歩史観が大々的に述べられており、ステレオタイプ的なヘーゲルのイメージを確認することはできても、ヘーゲル哲学本来の面白さに触れることは難しいのです。
ヘーゲル哲学をきちんと学ぼうと思ったら、何と言っても主著の『精神現象学』と『大論理学』を読まなければなりません。しかし、『精神現象学』は最も手に取りやすい平凡社ライブラリー版で、上下合わせて3500円ほど。『大論理学』に至っては、一冊5000円を超えるハードカバー三巻本でしか手に入らない状況です。ヘーゲルの著作は、知名度の割には、初学者がアクセスしづらい状況にあります。
1.3 研究書が多すぎる
ヘーゲルは日本で盛んに研究されてきた研究者で、多くの研究が蓄積されています。それ自体はよいことなのですが、新たに学び始めようとする者にとっては、これがかえってハードルになりかねません。なにしろアマゾンで検索しても、図書館のドイツ・オーストリア哲学の棚の前に言ってみても、新旧の研究書がずらりと並んでいる状態。しかも適当に手に取ってみると、難解なヘーゲル用語が並んでいて予備知識がなければ読めないような本もたくさん。何から手をつけて良いのか、学部生時代の私がそうだったように、困惑してしまうでしょう。
2.入門のための5冊
というわけで、この記事では、「今、ヘーゲルに入門したい人」が何から読むべきか、あえて5冊に限定して紹介してみたいと思います。5冊としたのは、一人の人間がモチベーションを保って読み通せる現実的な冊数だからです。その際、ヘーゲルの全体像がつかめることを条件とします。ただし、これらの条件のせいで選に漏れた著作についても、必要に応じて紹介していきます。なお、著者については敬称略とします。
①長谷川宏『新しいヘーゲル』(講談社現代新書):新書で全体像をつかもう
- 作者: 長谷川宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1997/05/20
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まずは新書から。『新しいヘーゲル』は、ヘーゲルの翻訳でも知られる在野研究者の大御所、長谷川宏の著作。ヘーゲルの著作の長谷川訳については、かなり大胆な意訳が施されており、専門家の間では否定的な意見もよく聞かれます。しかし、長谷川の平易な語り口が、入門者にとって有益であることは間違いありません。私自身、大学2年生のころ、長谷川『ヘーゲル『精神現象学』入門』を読んで、初めてヘーゲルが何を言っているかわかった、という経験をしたこともあります(この時期では「ヘーゲルの全体像がつかめる」という条件から外れるため選外)。
『新しいヘーゲル』は、新書サイズで、多岐にわたるヘーゲル哲学の全体像を、平易に示す、という挑戦的とも言える一冊。その分全体に薄味の叙述にはなっていますが、この一冊に目を通しておくことで、これからいろいろと勉強するうえで頭の中に地図を作っておけるはずです。
なお、同じく新書サイズでのヘーゲル入門には、権左武志『ヘーゲルとその時代』もあります。こちらはタイトル通り、歴史的な事項との関連やヘーゲルの国家観・歴史観について、ヘーゲルの生涯をたどりながら追うことができる一冊。しかし、歴史的事項との関連や実践哲学にウェイトを置いたアプローチであり、理論哲学については割愛されているため、今回は選外としました。逆にそういった点に興味がある方にはこちらもおすすめ。
②加藤尚武「ヘーゲル」、『哲学の歴史 7:理性の劇場』(中央公論新社):ヘーゲルの実像に迫る
- 作者: 加藤尚武
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/07/01
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中央公論新社から10年程前に公刊された『哲学の歴史』シリーズ。同シリーズを読むときには、最初から順番に読んでいくというより、気になった哲学者についての章を一冊の本のようにしてつまみ食いしてゆくのがおすすめです。その中の「ヘーゲル」の章は、日本で最も重要なヘーゲル研究者、加藤尚武によって書かれていいます。
加藤の文章の魅力は、ヘーゲルの欠点をも一切手加減せずに指摘する、ユーモアたっぷりの語り口にあります。例えば「ヘーゲルで完成している哲学思想はない」だとか、「ここには「論理の展開」などというものは何もない。イメージがあるだけというのが実情であろう」、あるいは「「ドイツ観念論」の中に人類の知的遺産として永遠に記憶されるべき一行の言葉があるかどうかも、おぼつかない」といった辛辣な、しかしどこか軽快なヘーゲル批判には、ニヤリとせずにはいられません。
もちろんこれが可能なのは、その裏にヘーゲルへの深い理解と、自らヘーゲルとともに思索し是々非々で臨むという強い意志が潜んでいるからです。読み進めるうちに、「西洋近代哲学の完成者」というヘーゲルの虚像が打ち砕かれ、より興味深い、格闘する哲学者ヘーゲルの実像へと引き込まれることでしょう。
③滝口清栄『ヘーゲル哲学入門』(社会評論社):ヘーゲルの生涯から思想へ
2016年に公刊された本書では、ヘーゲルの思想の発展を編年体で追うことと、それぞれの著作の内容をかみ砕いて示すことの両方が実されています。滝口先生には私も個人的に大変お世話になっているのですが、柔和なお人柄を彷彿とさせるとっつきやすい語り口も本書の魅力の一つです。
本書の最大の特徴は、伝記的な事項についてもかなり詳しく踏み込んだ叙述がなされていることでしょう。ヘーゲルの思想の内容についてわからないところが残ったとしても、伝記として楽しんで読み進めることができます。同時に、著作の内容もかなり細かく紹介され、各著作のキーワードを知ることができます。初学者にはそれでも凝縮された文体に感じられるかも知れませんが、入門者の段階を超えて、各自の興味に応じた勉強をすすめるときにどの本に進むべきか、考えるヒントとなるでしょう。
④岩崎武雄『カントからヘーゲルへ』(東京大学出版会):「ドイツ古典哲学」の中のヘーゲル
哲学史のなかでも躓きやすいカント以後のドイツ哲学。1977年発行の本書は、その中心となる4人の思索を俯瞰する書物として、今でも最初に参照されるべき一冊です。(ちなみにこの時代の哲学は「ドイツ観念論」と呼ばれてきましたが、近年では、観念論に限らないこの時代のドイツの哲学を全体として指す呼称として「ドイツ古典哲学」が定着しつつあります。)
カントを主要な研究対象としていた岩崎ですが、この著作ではフィヒテ、シェリング、ヘーゲルにも、一人の哲学者として真摯に向き合い、自分なりの合理的な解釈を作り出そうとします。ヘーゲルについても、「全く価値がない」という評価と「非常に重要な哲学者」という評価の両方があるという出発点から、ヘーゲルに意義があるとしたらそれはどのような意義なのかへと、思索が展開されていきます。単なる紹介にとどまらない哲学の書として、時代に左右されない魅力を持つ一冊です。
⑤高山守『ヘーゲルを読む』:ヘーゲルとともに哲学しよう
- 作者: ?山守
- 出版社/メーカー: 左右社
- 発売日: 2016/09/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最後の1冊は、私の恩師でもある高山守の近著で、放送大学のテキストを元に大幅な改稿を加えた一冊。
高山のヘーゲル論の魅力は、ヘーゲルの晦渋な叙述を自らの哲学的関心と関連付けながら、整合的な解釈を構築しようとする態度にあります。この哲学史研究のエッセンスを、コンパクトな入門書のスタイルでも犠牲にせず、可能な限り展開しているのが本書。ヘーゲルを読み、それについて自分で考え、自分なりの解釈を提示する。本書において読者は、そうしたヘーゲル研究の目指すべきあり方の好例に触れることができます。
3. 挫折しないためのアドバイス
ヘーゲルは、文体が読みにくく、内容も多岐にわたり、しかも「カント以後の哲学」、「フランス革命後の哲学」といった、哲学史・世界史的な文脈を背負った哲学者です。このような哲学者について、最初から一気に全部を理解しようとするのは得策ではありません。まずは全体像をつかむことで頭の中に「地図」を作り、そこからさらに個別の著作などに進んでいくのが理想的です。
また、ヘーゲル自身の叙述の難しさから、ヘーゲルに関する解説書や研究書も、非常に難しく、初学者にとっては何を言っているかわからない箇所も多々混在している、というのが実情です。そのような箇所に出会ったら、立ち止まらずに、キーワードだけを拾って次に進むことです。全体像がわかり、個々のキーワードが何を指すのかわかってくれば、自ずとわかるようになるということもあります。これは、この記事で紹介した入門書についてもきっと例外ではないでしょう。すでに専門的な知識を持っている私には気づけない躓きの石が潜んでいることも十分ありえます。その場合には、とりあえず気にせず先に進んでみることです。そして十分な知識がついたら、もう一度戻ってくればよいのです。
反転授業で学生に初回から予習してもらう工夫
講義内容をビデオ教材で予習させ、授業時間中には演習を行う「反転授業」。この授業形式の問題点として、学生が初めのうちは予習をしてこない、ということが挙げられます。これは映像コンテンツを用いた反転授業に限らず、予習を要求する授業全てに言えることでしょう。真面目に予習をするメリットがあるかないかわからない状況で、予習をしてくる気にはならない、という学生の気持ちも理解できます。
これを解決する工夫として、私の授業では、初回の授業の中で予習を「体験」してもらっています。
私の担当授業では、初年次の演習等、一部の科目で予習を課しています。また、「LTD話し合い学習法」をアレンジした授業も行なっています。これらの授業は、学生が予習をしてきていることを前提にしており、予習をしている学生の割合が7割を切ると、授業の実施自体が困難になります。このため、予習の必要性を早い段階でわかってもらう工夫が必要になりました。
反転授業関連の文献や講演では、最初の数回は予習をしてこない学生に痛い目を見せるしかない、等と言われることがあります。これは確かに一つの解決法で、この方法を用いたとしても、反転授業にはそれを補って余りある効果があるのも事実です。しかし、荒療治であるという感は否めません。
これに対して、私は、初回のガイダンスの授業の後半を予習とそれを使った授業の「体験」にあてることで、予習が必要であることを学生に実感してもらう、というやり方を取っています。少し詳しく書くと、以下の通りです。
- 初回授業前半、通常のガイダンスの段階で、予習が必要であることを強調しておく。
- 実際に予習してもらうのと同様の課題に30分程度取り組ませる(分量の調整は必要)。
- この課題は本来予習として取り組むものであること、実際の授業は、この後のワークからいきなりスタートすることを説明する。
- 実際に、予習を前提したワークに取り組ませる。
この後で、「なぜ予習が必要だとあんなに強調したかわかってもらえましたか?」と尋ねると、学生たちは苦笑しながらも理解してくれます。予習していない状態での授業を90分間体験させるより、お互いに負担や無駄を軽減しつつ予習の必要性をわかってもらえる方法だと感じています。
映像教材を使った反転授業の場合は、その場で各自に映像を見てもらうのは難しいと思います。しかしその場合でも、初回授業の中では文章教材等で予習をさせ、「実際の自宅学習ではこれに相当するような映像を見てもらいます」という解説を加えておけば問題ないでしょう。
初回授業とアイスブレイク
『インタラクティブ・ティーチング』の思い出(と、宣伝)
インタラクティブ・ティーチング―アクティブ・ラーニングを促す授業づくり
- 作者: 栗田佳代子,日本教育研究イノベーションセンター
- 出版社/メーカー: 河合出版
- 発売日: 2017/02
- メディア: 単行本
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徳島大学を(5ヶ月前に)退職しました
哲学史研究とイノベーション
来週、10月22日(木)から、徳島大学教養教育院(仮)設置準備室・講師の北岡和義先生が中心となった、「徳島大学イノベーションチャレンジ」(TIC)という教育プログラムがスタートします(TICのFacebookページはこちら。)。これに先立ち、15日(木)は、東京大学i.schoolより、エグゼクティブ・ディレクターの堀井秀之先生をお招きした、「第1回イノベーション教育講演会」が行われました。私は、TICの立ち上げにほんの微力ながら協力している縁もあり、スタッフ兼受講生のような形で、お話をお聞きすることができました。