川瀬和也 研究ブログ

宮崎公立大学で教員をしています。専門は、(1)ヘーゲル、(2)行為の哲学(3)プラグマティズム。英語圏のいわゆる分析系のヘーゲル研究の成果を取り入れながら、ヘーゲルの議論の再構成を目指しています。主要著作:論文「ヘーゲル『大論理学』における絶対的理念と哲学の方法」で日本哲学会若手研究者奨励賞受賞。共著に『ヘーゲルと現代思想』(晃洋書房・2017年)ほか。お仕事のご依頼・ご質問はフォームへ→https://goo.gl/forms/klZ92omOgEvsjcCi1

金杉武司『心の哲学入門』第3章における「表象内容の目的論的説明」への疑問

 金杉武司『心の哲学入門』(勁草書房、2007年)は、心の哲学を学びたい人のみならず、哲学を学びたい人に真っ先にすすめたい本の一つです。発行から10年を経て少し古くなってきたところもありますが、まだまだ現役で通用する本でしょう。

 

心の哲学入門

心の哲学入門

 

 

 しかし、私は、第3章の「志向性」に関する記述には問題があると感じています。これに気づいたのは、この本をもとに授業を作ろうとして精読したときのことでした。金杉さんに直接お尋ねしても良かったのですが、公開の形で批判しておくことには公共的な価値があると考え、また、読み物としてもそれなりに楽しんで頂けるのではないかと思うので、ここにブログとして公開することにします。なお、以下で批判的なことを書く関係で念のため繰り返しますが、納得できない箇所があるにせよ、この本が入門書として非常に優れているという全体としての評価は変わりません。(というか、哲学書には納得できない箇所がある方が普通です。)

 

金杉による目的論的説明の定式化

 さて、「志向性」の章には、信念や欲求の表象内容の目的論的説明として、R. ミリカンの目的論手利きの主義風の以下のような定式化が登場します。

  • ある信念がPという表象内容をもつ↔その信念は、実際にPという状況が成立している場合には、Qという表象内容を持つ欲求とともに、その欲求を満たすQという行為を引き起こす
  • ある欲求がQという表象内容をもつ↔その欲求は信念とともに、進化論的目的にかなったQという行為を引き起こす

 例えば、

P:目の前に水がある
Q:水を飲む

とすると、目の前に水があるときに、水を飲みたいという欲求とともに水を飲むという行為を引き越すのが、「目の前に水がある」という信念であり、この信念とともに「水を飲む」という行為を引き起こすのが、「水を飲みたい」という欲求だということになります。

 

この定式化の問題点

 これは、理解を助けるための単純化であることを考慮しても、非常に問題のある定式化に思えます。例えば次のような反例が作れるからです。

 

信念の表象内容の定式化に関する反例

あなたは取引先との重要な会議の最中である。あなたは喉が渇いており、水が飲みたいという欲求を持っている。目の前には、取引先の担当者の飲みかけの水がある。あなたはこの水を飲まないことにした。

 

 先ほどの双条件文による定式化を認めるなら、この状況でもしあなたが「目の前に水がある」という信念を持っているのなら、あなたはその水を飲むことになってしまいます。これに反して水を飲まないのだとすると、今度は双条件文の右辺が成り立たないので、あなたは「目の前に水がある」という信念を持たないことになってしまいます。これでは目的論的説明をする立場は、あまりにも見込みがない、検討する価値すらない立場になってしまうでしょう。

  欲求についても反例が作れます。例えば次のような場合。

 

欲求の表象内容の定式化に関する反例

あなたは「水を飲みたい」と思っており、「蛇口をひねれば水が出てくる」という信念も持っている。これらの欲求と信念は「蛇口をひねる」という行為を引き起こす。しかし、実際に蛇口をひねってみると水道が止まっており、水を飲むことはできなかった。


 これも先ほどの双条件文に反します。最初の信念が「水を飲みたい」という内容を持っていたのなら、あなたはまさにその内容にあたる行為、すなわち水を飲むという行為をするのでなければなりません。しかし実際にあなたがしたのは、蛇口をひねると言う行為だけです。このときあなたは、「水を飲む」という欲求を持たず、「蛇口をひねる」という欲求だけを持っていたことになってしまいます。これは非常にまずい。

 また、この説明では、進化論的目的との関連性は欲求だけに付与されていますが、この点にも疑念があります。目的論的機能主義者は、実際に水がある場合に水があるという信念を持つことは、それだけで進化論的目的にかなうと考えるはずです。(少なくとも私はそのように理解しています。)しかし、金杉さんの定式化からはこのような含意が抜け落ちています。

 さらに正確を期すならば、表象が持つ目的論的機能は派生的な目的論的機能でしかありません。第一義的に目的論的機能を持つのは、例えば神経システムであり、その目的論的機能は、表象を生み出し、消費することです。このシステムの目的論的機能から派生する形で、例えば信念は、世界を記述するという派生的な目的論的機能を持ちます。


 もちろん金杉さんはこれらのことを理解していなかったのではなく、入門書としての可読性への配慮から、表象を生産・消費するシステムについて詳述することは避けたのだと思います。しかし、ここを省略すると、目的論的機能主義の洞察の核心が取り逃がされてしまいます。和訳のあるミリカンの著書から引用すれば、「あなたの真なる表象が志向的表象であるためには、表象を作ることがそれを生み出したシステムの目的ないし機能でなければならない」ということが、目的論的機能主義にとって最も重要な前提のはずだからです*1

 

改良の方針

 改良の方針としては、産出システムと消費システムに言及するようにすること、また、無理に必要十分条件の形で提示しない、ということになるのではないかと思います。より正確を期そうとすれば適応度や固有機能といったミリカンの使う概念が次々に登場してくることになるため、それをどこまで許容できるかは難しい仕事になるとは思います。

 本当は改良版の説明や定式化を提示すべきなのでしょう、論文というわけではないので、これくらいにしておきたいと思います。どなたかよりうまく説明できる方がよりわかりやすい説明を追加してくれることを期待します。

 また、『心の哲学入門』よりはハイレベルになってしまいますが、信原幸弘『心の現代哲学』(勁草書房)の第4章が、ここで問題にした点に関するより的確な説明をあたえています。私が示した反例を念頭に置いて読んでみると、これらを周到に回避する説明になっていることが理解できるでしょう。より詳しく勉強したい方は、合わせて読まれることをおすすめします。

 

心の現代哲学

心の現代哲学

 

 

※いよいよ今週末、東京にて「ヘーゲル(再)入門ツアー」というレクチャーを実施します。おかげさまで満員→増席の運びとなりました。高校生限定の無料チケットもあります! チケット残り少なくなってきたようです。この記事との関係で言えば、分析系の議論に親しみながらヘーゲルを読むとどうなるか、という観点からも楽しんでいただける内容にしたいと思っています。

 

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*1:ミリカン『意味と目的の世界——生物学の哲学から』(信原幸弘訳、勁草書房、2007年、89頁)。ちなみにこの本の原題はVarieties of Meaningで、個別科学の哲学としての「生物学の哲学」の本ではない。